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箕面市瀧安寺
▼日本の富くじの起源は、約380年前の江戸時代初期。摂津箕面の瀧安寺で正月の元旦から7日までに参詣した善男善女が自分の名前を書いた木札を唐びつの中に入れ、7日の日に寺僧がキリで3回突き、3人の当せん者を選び出し、福運のお守りを授けたのが起こりとされています。

瀧安寺の富会はただ当せん者にお守りを授けるだけ
でしたが、その後、次第に金銭と結びつき「富くじ」と
して町にはんらんするようになりました。そのため徳
川幕府は、元禄5年に禁止令を出したほどです。
しかし、幕府はその後も寺社にだけは、修復費用調
達の一方法として、富くじの発売を許したので、これ
を天下御免の富くじ「御免富」と呼びました.。

江戸の三富として有名だったのは、谷中の感応寺、目黒の瀧安寺、それに湯島天神の御免富でした。
幕府公認の御免富も、その後天保13年(1842年)の「天保の改革」によって禁止されてしまい、明治になってからも、明治元年(1868年)の「太政官布告」によって、きびしく禁じられました。天保の禁令以来、103年もの長い間、日本では富くじは発売されませんでした。



▼昭和20年7月、政府は浮動購買力を吸収して軍事
費の調達をはかるため、1枚10円、1等10万円が当た
る富くじ「勝札」を発売しました。しかし、抽選日を待た
ずに終戦となったため、皮肉にも「負札」と呼ばれるよ
うになってしまいました。



昭和20年10月、宝くじという名前で戦乱によって荒廃した地方自治体の復興資金調達をはかるため、各都道府県が独自で宝くじを発売できることとなり、21年12月に地方くじ第1号「福井県復興宝籤」が登場しました。政府くじは昭和29年に廃止され、その後は地方自治体が独自、又は共同で発売する地方くじのみになりました。




▼昭和29年の政府くじ廃止後、都道府県、市の宝くじは、より大きな規模でより魅力ある賞金条件の宝くじを発売するために、統廃合が行われました。そして、昭和34年4月までに現在のような5つのブロックの原型ができました。
それらは
(1)全国自治宝くじ
(2)東京都宝くじ
(3)関東・中部・東北自治宝くじ
(4)近畿宝くじ
(5)西日本宝くじ
の5つです。



▼昭和39年10月。この頃から宝くじ人気が上昇してきました。昭和40年に5年ぶり最高賞金額の更新され、700万円に。41年には800万円、43年には1.000万円になりました。宝くじ売り場にファンの列が目立ち始めたのもこの頃からです。

・昭和52年8月に発売の第133回全国自治宝くじでは、スムーズな発売を行うため、初めて官製往復はがきによる予約発売が実施。同年暮れの第136回全国自治宝くじでは、予約販売に加えてユニット制をとりいれました。
予約制宝くじが年に3回発売されるようになったのは昭和54年からで、同年のサマージャンボ宝くじからジャンボ宝くじと呼ばれるようになりました。宝くじ人気が一段と高まり、ファンの要望にこたえて1等賞金額がアップされ、併せて宝くじの単価アップもされました。

・昭和53年6月に発売の第140回全国自治宝くじは1枚200円、1等2.000万円となり、昭和55年5月に発売のドリームジャンボ宝くじでは1枚300円、1等3.000万円となりました。

・昭和60年5月に宝くじの法律「当せん金付証票法」が改正され、宝くじの最高金額は「宝くじ1枚の価格の20万倍まで」となりました。これにより、同年11月の発売の年末ジャンボ宝くじは、1枚300円で、1等5.000万円となりました。(1等・前後賞合わせて7.000万円)。



▼ジャンボ宝くじの登場により、宝くじはより幅広い人々に愛されるようになりました。こうしたファンのニーズに応えるため、昭和50年代以降、賞金条件の多様化やインスタントくじの発売、宝くじ業務のコンピューターリゼーション、機械化によるサービスの向上などが積極的に進められました。そうした具体例をいくつか紹介します。

・【グリーンジャンボ宝くじ】の登場
昭和59年2月に発売の第197回全国自治宝くじは、国土緑化
推進運動の一環の「緑化宝くじ」として登場。高額な1等賞金
と、ナンバーズゲームに挑戦できる特別賞で話題となりました。
この緑化宝くじは昭和61年から「グリーンジャンボ」という愛称
となり、毎年2月に発売されています。

・【インスタント宝くじ】の発売
全国自治宝くじが誕生したのは昭和29年12月。その30周年を記念して59年11月に発売の第205回全国自治宝くじは、買ったその場で”当たり””はずれ”がわかり、当選金の換金もすぐにできるインスタントくじでした。「ラッキー7(セブン)」という愛称で、1等は100万円、そのスピード性とゲーム性が大好評でした。その後も発売され、昭和61年からは愛称を「ラッキー3(さん)」としました。発売回数も次第に増え、種類も「ラッキートランプ」「ラッキー迷路」など多様化し、全てのブロック宝くじでも発売されるようになりました。



▼昭和56年に12月、東京・内幸町に「東京宝くじドリーム館」がオープン、また昭和61年9月には大阪・淀屋橋に「大阪宝くじドリーム館」がオープンしました。なお、「東京宝くじドリーム館」は平成16年1月に東京・京橋に移転し、新しく生まれ変わりました。

▼昭和62年11月に発売の年末ジャンボ宝くじは、1枚300円、1等賞金額が史上初の6.000万円となり、2年後の平成元年11月には、同じく1枚300円、1等6.000万円ながら、前後賞各2.000万円を合わせて1億円となりました。
平成8年7月に発売された「阪神・淡路大震災復興協賛宝くじ」では、1枚500円、1等1億円を実現しました。昭和20年10月に「政府第1回宝籤」が1枚10円、1等10万円で発売されてから51年目にして、1億円宝くじが誕生したわけです。
さらに平成10年10月に「当せん金付証票法」ヶ13年ぶりに改正され、宝くじの最高賞金額は『宝くじ一枚の価格の100万倍まで』となりました。これにより11年5月に発売のドリームジャンボ宝くじは1枚300円で1等2億円となり、前後賞合わせて3億円の宝くじが誕生しました。

・平成10年の「当せん金付証票法」改正では、「キャリー
オーバー制」をともなう数字選択式宝くじの発売も可能と
なり、キャリーオーバーのあった場合の最高賞金額は「宝
くじ一枚の価格の200万倍」となりました。これにより平
成12年10月にスタートした「ロト6」では、同年11月に早くも4億円
の1等賞金が実現しました。




※日本宝くじ協会より一部抜粋